クルレンツィスの演奏するバロック、早速続編ということで、パーセルの「ディドとエネアス」を聴いた。
目下、仕事の都合デスクワークに追われているので、
「聴いた」というか「聞いた」のだけど、劇の最後に女王ディドが身投げして
妹の腕の中で息を引き取る直前に歌われる「ディドのラメント」で手が止まる。
この猛烈に胸が締めつけられるメロディー、知ってる!
それは、昨年見た映画(DVD)の中で最も印象深く、その中でも最も印象的に用いられていた曲だったのです。
その映画は、「耳に残るは君の歌声」。
2000年に公開された、サリー・ポッター監督の映画だ。
1920年代、ロシアに住む貧しいユダヤ人少女フィゲレの父が、後で家族を呼び寄せると約束して
単身アメリカへ渡るが、少女の村は動乱で焼き払われ、なんとかロンドンに逃れた少女は
スージーと名前を変え、ユダヤ人であることを隠しつつ、美声を頼りにパリでコーラスガールになる。
成長したスージーはクリスティーナ・リッチが演じる。
スージーはジョニー・デップ演じるジプシーの青年に恋するも、生き別れた父を探し、
やがて迫るナチスの魔手から逃れるためアメリカへ逃れようとするというストーリーであるが、
その中で主人公のスージーが何度か歌う歌がこのパーセルのラメント・アリアである。
映画では、スージー(もしくはフィゲレ)の父が歌う歌(ユダヤの音楽か?)、
パリでスージーが出会うジプシー達の音楽などがとても効果的に使用されている。
ラメント・アリアに至っては、こうして「パーセルの作品だ」と気付くまでは
とても民族的な響きがあると思っていた。
この映画の音楽を担当しているのが、オスバルド・ゴリホフというアルゼンチンの作曲家であるが、
実は彼も1920年代にルーマニアとウクライナから移住してきた家族の中で
育ったらしい。クラシック以外にタンゴ、それからユダヤの典礼とユダヤの伝統音楽、クレズマーに
親しんで育ったというので、ほぼ間違いなくユダヤ人の家系で、のちにアメリカに移住して
ジョージ・クラムに作曲を学び、現在は映画音楽の仕事もしている彼は、
この映画の登場人物と奇妙なほど接点が多い。
クルレンツィスの音楽には、「民族性」がキーワードになっていると思われる。
根源的なもの、土着的なもの、そこにはこの映画で取り上げられているような
ユダヤ人やジプシーのような、長い間迫害を受けてきた人たちが本来持っていた固有の
音楽に通じるようなものへのパッションがある気がする。
パーセルのアリアもまた、その接点の一つであることに驚きと興味深さを感じる。
動画(止まってるけど)は素晴らしい歌声のジモーネ・ケルメスで、クルレンツィスの指揮による。
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