毎回のことだけど、一つコンサートを終えると非常に多くの収穫がある。
特に最近のチャペルコンサートはそういうことが多くて、例えば3月のチャペルコンサートでもエレクトロニックのトビアス・ハーゲドーンとの共演で本当に沢山の刺激を頂いた。
忘れないうちに綴っておきたかったけど、年度の変わり目で怒涛のように押し寄せる校務にすっかり追われて、何もかけないままその次のコンサートまで終わってしまった。
2023年度のチャペルコンサートより、ようやくコロナ前の実施方法に戻すことができた。
事前予約なし、入場制限なし。
ただそれだけのことだけど、気持ちの変化が随分違った。
特に昨年度の2つのコンサートが異色な内容ばかりで、どちらもドイツから出演者を招き、助成を頂いて
実施した特殊なコンサートだったので、そういう特殊ではないコンサートをするのも久しぶりだった。
6月23日のヴァイオリンとのデュオ公演も、昨年の2つの特殊なコンサート同様、実はコロナ前に既に企画していたものだった。
ヴァイオリニストの中村公俊さんとのデュオ。
でも、改めてコンサートのプログラムを練り始めたとき、コロナ前になんとなく考えていたプログラムにはどうしても触手が動かなかった。
色々考えた結果、ずっと以前から挑戦したくて、でもなかなか取り掛かれなかった作品を上演しようと決めた。
それがリゲティの「ヴォルーミナ」だ。
「ヴォルーミナ」については、実は昨年論文に書いていたのだけど、それが今年の春先にようやく「阪大音楽学報」に載せて頂いて刊行された。
リゲティの創作のコンセプトや初演当時の様子、初版と改訂版との比較など、かなり詳細に掘り下げてみたものの、実はまだ弾いたことがなかった。
頭の中ではなんとなくイメージできてきたが、音にできるのか?
最後の一歩がなかなか踏み出せずにいた。
そんなところに、リゲティを初め現代のオルガン作品の初演を数多く手がけ、リゲティとも演奏をめぐって直接やりとりを交わしたことのあるオルガニスト、ジグモント・サットマリー氏の来日と講習会の連絡が届いた。
ああ、もうこれはお告げだな、と思い、
「ヴォルーミナ」チャレンジが決定したのだった。
サットマリー氏による「ヴォルーミナ」のレッスンはとても充実していた。
本当に参加させてもらえて、そして「ヴォルーミナ」を見てもらえて良かった。
破壊的な音響、全てを打ち砕き、やがて最後には音が静けさに溶け込むように消えていった後、さらに静寂が約30秒続く。
静寂のなか、階下でバッハのシャコンヌが始まる。(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ二短調より)
(実際には拍手が起こってしまったのだけど。)
シリーズのテーマにした「restart〜新たな出発〜」が、良い形でできたなあと思う。
2日後の25日に開催された、ベルリン在住のオルガニスト、浜屋恵さんの演奏は、
どの作品もとても瑞々しくて素晴らしかった。
オルガンの様々な音色を引き出してくださって、「いいオルガンなんだなあ」と感じさせてもらえた。
武満徹のチェンバロ作品「Rain Dreaming」のご自身によるオルガン編曲、ドビュッシーの「海に沈む大聖堂」のオルガン編曲、そして西村朗の「焔の幻影」という後半のプログラム構成も素敵でした。
かなり濃いことをやった気がするので、次は何をしようかな、という悩みも生まれてしまったけど、2つの公演が続いて開催されたこともあって、何やら音楽祭的なものが終了したような充実感と解放感に浸っている。